若林駿太投手が23歳で戦力外通告を受けたのはなぜ?性格の問題か?
2019/12/28
中日ドラゴンズをわずか23歳で戦力外となった若松駿太投手。現在はBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスでプレーしながら、NPBへの復帰を目指しています。
1年目には高卒ルーキーで10勝をあげる活躍をしている彼が何故、わずか3年で戦力外となってしまったんでしょうか?性格の問題という情報も出ています。原因を探ってみました。
若松駿太投手の経歴
若松投手は福岡県出身。ソフトボール出身の父のサポートを受けて小学校4年生から野球を始めました。福岡の祐誠高校から2012年ドラフト7位で中日に入団しました。
3年目の2015年には弱冠20歳で10勝4敗という成績を残しました。切り札のチェンジアップは「わかっていても打てない」という切れ味でした。年俸は550万円から3400万円に跳ねあがり、スター選手への階段を上りはじめたかに見えました。
ところが翌2016年には7勝8敗と伸び悩み、2017年には1勝4敗と大失速。3年ぶりの2桁勝利を誓った2018年には右肩痛で1軍のマウンドに1度もあがることなくシーズン終了してしまいました。

大谷世代の23歳。わずか3年で戦力外通告
メジャーリーグに挑戦し、2018年に新人王に輝いた二刀流・大谷翔平選手(エンゼルス)とは同い年。
高卒ルーキー1年目で2桁勝利を達成した大谷世代は、この大谷翔平と阪神の藤浪晋太郎、そして若松駿太の3人しかいないんです.
それほどの逸材が、2桁勝利をあげてからわずか3年で戦力外通告を受けるとは誰が想像したでしょうか?
「思っちゃいけないんですけどね。いや、オレなの?って思いましたし、もう悔しくて涙が出ましたよね」と語る若松駿太投手。そりゃそうですよ。絶対に俺はまだやれる!と思ったはずです。
戦力外通告の理由は性格?素行?
若松駿太投手はよく言えば怖いのも知らずの性格。悪く言えばお調子者の一面もありました。周りからはチャラマツとも呼ばれたりしていました。
当時の谷繁監督からも好投したゲームのあとに「調子乗んなよ」とたしなめられることもあったといいます。この才能あふれる若者の将来を案じていたんでしょうね。
成績不振で登板の声がかからない時は、その理由を首脳陣に問いただすということもしていたそうです。精神的なストレスが態度にあらわれてしまい、「生意気だ」と言われることもあったそうですね。そして納得のできないまま戦力外通告。
ただプロですから、性格の問題だけでクビになる訳はありませんね。どんなに性格が悪くたって成績を上げていればいいんですから。
本当の原因はストレートの球速が落ちてしまったことだと言われています。
成績を残した2015年には144キロでていたストレートがその後130キロ後半くらいしか出なくなります。もともと切り札のチェンジアップはストレートとのスピード差があってこそ効果がでるわけですから、そこは厳しい問題ですよね。
谷繁監督もは若松について「相手が研究して、さらに研究しなければいけなかったんですけど、なかなかできなかったということだと思います。ストレートも2年前より、ちょっと遅くなっている。そこも問題だと思います」
と話しています。
現在はBCリーグ栃木ゴールデンブレーブスで好投して、優勝への原動力となる力をみせています。まだ24歳。なんとかNPBで活躍する姿をもう一度見たいですね。