大河ドラマ「いだてん」の主人公、金栗四三と田畑政治ってどんな人?
2018/12/14
2019年のNHK大河ドラマ いだてん~東京オリムピック噺~のキャストが続々と発表され期待が高まってきましたね!
脚本はヒットメーカー宮藤官九郎さん。1912年開催のストックホルム五輪から1936年ベルリン五輪そして1964年の東京五輪までの明治~昭和史が描かれるそうです。
主人公は金栗四三(かなくりしそう)と田畑政治(たばたまさじ)。中村勘九郎さんと阿部サダヲさんがリレー形式で演じるそうです。
ナビゲーター役としてビートたけしさん演じる古今亭志ん生が落語にのせて物語をすすめていくようです。
どんなドラマになるか楽しみですね。
ところで主人公の金栗四三と田畑政治って知ってました?
私は恥ずかしながら聞いたことがなかったので、2人がどんな人物なのか調べてみました。
日本人初のオリンピック選手は大会で行方不明!? グリコの看板!?
金栗四三は熊本県玉名郡で生まれ、東京高等師範学校に進学します。
そこでのちに柔道の父とよばれるあの嘉納治五郎校長に長距離ランナーとしての素質を見出されてストックホルムオリンピックの予選会に挑戦。
そこで当時の世界記録を塗り替えるタイムで優勝。なんと足袋でですよ!
こうして日本人として初めてオリンピックに出場することになります。
ところが翌年のストックホルムオリンピック本番ではレース中に熱中症で意識を失いコース近くの農家に迷い込み倒れてしまいます。
農家の人に助けられてなんと!目を覚ましたのがレースの翌日でした。当然試合は断念という結果になってしまいました。
レース中に日本人選手が行方不明になったと大騒ぎになったみたいですが、そりゃそうですよね!今じゃ考えられない話です。
その後もオリンピックに挑戦するのですが1916年(大正5年)ベルリンオリンピックは第一次世界大戦の影響で開催中止。
1920年(大正9年)アントワープオリンピックでは16位、1924年(大正13年)パリオリンピックでは途中棄権と結果を出せませんでした。
国内では日本のマラソンの発展に尽力して駅伝のはじまりといわれる東海道駅伝徒歩競争でアンカーを走ったり、第1回東京箱根間往復大学駅伝競走。いわゆる箱根駅伝の開催に貢献しました。
ストックホルムオリンピックの後日談として当時行方不明扱いになっていた金栗を大会主催者が55周年の記念式典に招き、セレモニーとして金栗四三にゴールテープを切らせました。
レースタイムは54年8ヶ月32分20秒3.オリンピックの歴史のなかで最遅の記録だそうです。なんかほっこりとする粋なはからいですよね。
あとは大阪道頓堀のあの有名なグリコの看板のモデルの1人とも言われています。
東京オリンピック開催の立役者は東洋の魔女の生みの親!?
もう1人の主役。田畑政治は静岡県浜松市の裕福な家に生まれ東京帝国大学へ進学して朝日新聞に入社するという相当なエリートコースに乗ってますねぇ。
出身地の浜名湾は水泳の盛んな地域で田畑政治も相当泳ぎが上手かったらしいですが、旧制浜松中学時代に慢性盲腸炎と大腸カタルを併発して医者から水泳を禁じられてしまいます。そこで水泳を断念し指導者への道を選択しました。
日本水泳連盟の会長に就任するとアムステルダムオリンピックやロサンゼルスオリンピック、ベルリンオリンピックで成果をあげましたが第二次世界大戦の影響でロンドンオリンピックには参加を認めらませんでした。
当時の世界記録(非公式)をもっていた古橋廣之進選手の実力を世界に知らしめるためにロンドンオリンピックと同日に神宮プールで日本選手権を開催しロンドンオリンピックの優勝者を上回る記録を出させ、日本水泳のレベルの高さを証明して見せました。
終戦すると東京へのオリンピック招致を早くから提唱して五輪招致活動の中心人物となりました。
日系2世のフレッド・イサム・ワダを招致委員として活用するなど精力的に招致活動を行い1959年(昭和34年)に見事1964年(昭和39年)のオリンピック東京開催を勝ち取りました。
東京開催が決定するとJOC組織委員会の事務総長に就任。東京オリンピックで女子バレーボールの採用を強く訴えて、あの「東洋の魔女」の誕生にも貢献しました。
東京五輪の2年前、第4回アジア競技大会への日本選手団参加をめぐる混乱を招いた責任を取る形で事務総長は辞任しましたが東京オリンピックはご存知の通り大成功しましたよね。
急ぎ足でみてきましたが、金栗四三も田畑政治もとてもエネルギッシュで魅力あふれる人物ですよね。
2019年1月の放送開始が楽しみです!