エール 佐藤久志(山崎育三郎)のモデルは銅像が建つほどすごい人だった!

      2020/06/07

NHK朝の連続テレビ小説「エール」東京編になってますます面白くなってきましたね。裕一(窪田正孝)はコロンブスレコードの専属作曲家に、音(二階堂ふみ)は東京帝国音楽学校へ。魅力的なキャラクター物語をもりあげてくれてますよね。
 
今回はその中の1人、裕一の小学校の幼なじみにして、東京で再開し、村野鉄男とともに福島3羽ガラスとして音楽の道にすすんでいく佐藤久志。演じるのはイケメンミュージカルスター山崎育三郎さんですね。そのモデルとなった伊藤久男についてまとめてみました。
 

Sponsored Link

 

 

佐藤久志(山崎育三郎)はどんな役どころ?

 
裕一の小学校の同級生で親は県議会議員を務める裕福な家の息子。子供の頃からはきれいな身なりをして得にならないことには関わらないクールなタイプ。
 
裕一が音と結婚して東京に住むようになってから、音が入学した東京帝国音楽学校の先輩として再会します。
 
すでに講義をするほどの優等生で、イケメンの容姿は女学生たちの憧れの的です。音に歌のアドバイスをしたり、スランプに陥った裕一に早稲田の応援歌「紺碧の空」作曲させるきっかけをつくります。
 
イケメンミュージカルスターの山崎育三郎さんにはピッタリの役ですね。
 
 

帝国音楽学校からコロンビアレコードへ

 
佐藤久志のモデルとなった伊藤久男さんは1910年(明治43年)7月7日に福島県安達郡元宮町(現在の本宮市)で生まれました。父は県会議員の伊藤彌(わたる)兄は衆議院議員の伊藤暢(のぼる)さんという大地主の名家出身です。
 
子供の頃からピアノにのめり込みピアニストを志しますが、家族の反対にあい実家を継ぐため東京農業大学に進学します。
 
ところが、家族に黙って東京農業大学を自主退学して帝国音楽学校に入学します。この時同じく世田谷・代田に住んでいた古関裕而さんと親交を深めます。
 
 
伊藤久男さんには早稲田の応援部に所属する伊藤戌(しげる)といういとこがいました。そのいとこに頼まれて早稲田大学応援歌の「紺碧の空」の作曲を裕而に依頼します。
 
伊藤家は大天狗酒造という蔵元で久男はで本宮の実家に帰る前に大天狗酒造に酔って、よくお酒を飲んでいたそうです。
 
 
東京農業大学を辞めたことが兄にばれて学費を止められてしまった伊藤久男は小関裕而の紹介でコロムビアレコードでバックコーラスをやりながら帝国音楽学校を卒業。その後コロムビアレコードからデビューしました。
 

Sponsored Link

 

大ヒット歌手への道のりから晩年まで

 
しばらくヒット曲には恵まれませんでしたが、昭和15年に戦時歌謡の「暁に祈る」が大ヒットして一躍、人気歌手となります。「暁に祈る」は作曲・古関裕而、作詞・野村俊雄、歌った伊藤久男も福島出身だったので福島三羽ガラスとか福島トリオとか呼ばれました。
 
戦後は戦時歌謡を歌っていたという自責の念から酒に溺れ、再起不能かと危ぶまれましたが、昭和22年に小関裕而作曲の「夜更けの町」で復帰すると、昭和24年には高校野球の大会歌「栄冠は君に輝く」「イヨマンテの夜」が大ヒットします。
 
「栄冠は君に輝く」は今でも歌われる甲子園ソングですよね。「イヨマンテの夜」は懐メロの世界でかろうじて聞いたことはありましたね。ダイナミックな歌です。
 
第2回紅白歌合戦に初出場するとその後は11回出場と紅白の常連となります。
 
晩年はプロ歌手の権利保護を目指した日本歌手協会の設立に尽力。昭和53年には紫綬褒章を受章。糖尿病と闘病しながら昭和57年には日本レコード大賞特別賞を受賞。翌年の昭和58年に肺水腫でなくなりました。
 
伊藤久男さんは豪放磊落な性格で大変な酒豪だったそうです。小関裕而さんとはタッグを組んで多くの名曲を残しました。
 
平成22年に伊藤久男さんの生誕100年を記念して本宮駅前に胸像のモニュメントが作られました。ボタンを押すと伊藤久男さんの名曲を聴くことができるそうですよ。
 
 
 

 - 未分類