エール 井上希美演じる藤丸のモデルは音丸 28歳主婦でデビュー!

      2020/06/07

朝の連続テレビ小説「エール」鉄男(中村蒼)が新聞社をやめて上京し夢をおいかけることになり、いよいよ小山裕一(窪田正孝)がヒット曲を生み出し、音(二階堂ふみ)は自分の夢と向き合う時がやってきました。
 
そんなわけで裕一初めてのヒット曲をうたう藤丸さんの実在のモデル、音丸さんの生涯をまとめてみました。
 
 

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エール 藤丸(井上希美)の役柄は?

 
なかなかヒット曲にめぐまれない裕一は木枯(野田洋次郎)に売れっ子作曲家・高梨一太郎を紹介される。高梨は木枯作曲の「酒は涙か溜息か」の作詞をした人物だった。
 
高梨に見込まれた裕一に提供された詩が「船頭可愛や」だった。廿日市(古田新太)は売れっ子高梨の作詞ということですぐにレコード化にふみきり、当時芸者のレコードが流行っていたため芸者に歌わせることにする。
 
ところがレコーディングに現れたのは化粧っ気のない地味な女性だった。実はギャラの高い芸者を廿日市が渋り、下駄屋の娘・沼田松子に芸者・藤丸(井上希のふりをして歌うよう頼んでいたのだった。
 
歌い始めると藤丸の歌唱力は素晴らしく、裕一たちは驚いて見守るのだった。
 
 

下駄屋の主婦から歌手デビューは28歳

 
藤丸のモデル音丸こと永井満津子さんは明治39年(1906)麻布箪笥町(※現在の六本木一丁目付近)で履物屋の一人娘として生まれました。
 
小さい時から美声が評判で日本舞踊や小唄や琵琶など芸達者な子供だったそうですね。その後結婚して家業の下駄屋さんの主婦として働きますが、民謡の会で歌った民謡が絶賛されて昭和9年(1934)永井満津子の名前でリーガルレコードから「草津湯もみ歌」古賀政男の目に留まり、テイチクレコードから「泪の京人形」デビューします。
 
 
当時は小唄勝太郎、市丸、赤坂小梅などの芸者歌手が一世を風靡していた時代。永井さんは芸者と同様に小唄も端唄も歌う事ができたので下駄屋のおかみさんだった彼女がスカウトされました。
 
 
 
コロムビアレコードと正式契約を結んで「おけさくづし」「主は国境」でデビューしました。つびに吹き込んだ「君は満州」から芸名を音丸としました。理由は音は丸いレコードからというシャレだそうです。
 
この時の年齢は28歳。今なら遅咲き中の遅咲きで芸能の道に入ったことになります。
 

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「船頭可愛や」で昭和の元祖アイドル誕生

 
昭和10年(1935)年ようやく古関裕而と出会います。古関裕而作曲の「船頭可愛や」が大ヒット。続けて「下田夜曲」「博多夜船」とヒット曲がでて、一躍トップアイドルとなります。
 
コロムビアでは当初主婦からレコードデビューしたことを隠していましたが、音丸本人はファンからの「下駄屋の姉御!」という掛け声にも「よくご存じ!」とかえせる肝っ玉の太いアイドルだったそうですよ。
 
アイドルが大忙しになった音丸は離婚し、弁士の井口静波と再婚して二枚看板で全国を慰問・巡業しました。無名時代の美空ひばりが前座として同行していたとき乗っていたバスが事故にあって瀕死の重傷になったのは有名な話だそうです。
 
昭和23年(1948)にはキングレコードに移籍して「五木の子守歌」など多くの民謡を世に出します。その後はヒット曲にめぐまれずコロムビアにもどり、懐メロブームにのって往年のヒット曲を吹き込みますが、このころから急速に視力が低下し始めます。
 
昭和51年(1976)世田谷の自宅でお亡くなりになりました。音丸のお墓は船をかたどった墓石があり、「船頭可愛や」の一番の歌詞が音丸の直筆で彫られているそうです。

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