樹木希林の改名前の芸名、悠木千帆は若いころ売却されていた!

   

個性あふれる女優、樹木希林さんが闘病のすえ他界されました。


娘さんの内田也哉子さんとご主人の本木雅弘さんに見送られて


芸能界や著名人の多くの方も樹木希林さんを偲んでいましたね。


来年には自ら企画された遺作になる「エリカ38」も公開されるようです。


そんな樹木希林さんが過去の芸名をオークションで売却していたって知っていましたか?


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樹木希林さんプロフィール


名前:内田啓子(旧姓:中谷)


生年月日:1943年1月15日  75歳


出身地:東京都千代田区


血液型:A型


希林さんのお母さんは神保町で「東宝」というカフェをやっていたんですね。


すでに文化的な香りがしますね~


市ヶ谷の千代田女子学園の演劇部に所属していた希林さんは、薬剤師を目指していたんですけど、大学受験の前にスキーで足を怪我して大学受験を断念。


その結果、文学座付属演劇研究所に入って女優として歩みはじめたんですね。


スキーにいって怪我をしていなければ樹木希林という名女優は生まれていなかったんですから運命みたいなものを感じますねー。


そしてそうです。この時の芸名が悠木千帆なんですね。


悠木千帆ブレイクのきっかけは1974年のTBSドラマ「寺内貫太郎一家」で西城秀樹のおばあちゃん役ですよね!


この時実年齢は31歳だったらしいですが、バリバリのおばあちぁんメイクで沢田研二のポスターに「じゅりぃぃぃぃぃぃ~!」と絶叫する演技が大当たり!


一躍お茶の間に認知される存在になりましたね。


樹木希林 悠木千帆


悠木千帆の芸名を特番のオークションで売却!樹木希林に


1977年4月1日 「日本教育テレビ」は「テレビ朝日」と局名・会社名を変更しました。


その記念番組として放送されたのが 「テレビ朝日誕生記念番組・わが家の友だち10チャンネル・徹子のナマナマ10時間半完全生中継」


タイトルも長いが放送時間も長い!


その中のオークションコーナーで他の芸能人が私物を出品する中、売る物がない!という理由で自らうの悠木千帆という芸名を競売にかけちゃったんですね~!


なんというこだわりの無さ!自分の芸名ですよ?普通もう少し愛着とかあると思うんですが。


こういうところが樹木希林さんのすごさですね。


そしてなんと2万2千円で世田谷の飲食店の店主が落札!しちゃいました。


ちょっと安いんじゃないないかって気がしませんか?


とにかく落札されちゃった悠木千帆はその後、山田和葉さんという女優に無償で譲渡されたんです。


二代目悠木千帆となった旧山田さん(ややこしい)は現在も女優業を続けていて、最近ではNHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」などにも出演されてますね。


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樹木希林になってからその後は


樹木希林になってからの活躍はもうおなじみですよね。


ドラマ「ムー」「ムー一族」では郷ひろみさんとの共演と主題歌「お化けのロック」「林檎殺人事件」でベストテン入り。


コミカルなダンスも印象的でしたよね。


CMでもピップエレキバンでピップフジモト会長と共演したり、フジカラーの「お正月を写そう!」のCMもおなじみになり、25年間も出演したそうです。


映画やドラマの出演も数知れず、出演シーンは多くない時でもその存在感は並みじゃないうですよねー


ブレない生き方がかっこよかったですね。


よく樹木希林さんが毒舌だって言われますけど、毒舌というよりは本当のことを隠さずに語っていたんだと思います。

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